レストラン業界の戦争 4


社名を「すかいらーく」にしたのは49年2月で、すでに12店を展開し、売上げは10億円になっていました。


「すかいらーく」の命名とともに、5年後には3百店にすると宣言したが、問題は石油ショックによる土地や物価の値上がりでした。


・・・そこで茅野社長はまたもや発想を転換させ、現在の「すかいらーく方式」なる「リース方式」を考案しています。


つまり地主に、すかいらーく設計のレストランを建築してもらい、土地と建物を借りるという方式です。


現在では、ショッピングセンターはすかいらーく方式をまねて出店していますが、この場合には、地主をディベロッパーと呼んでいます。


それに対するすかいらーくは「オーナー様」とよびます。


リース1号店がオープンしたのは49年1月。


地主には固定した家賃が支払われました。

鉄さびの問題について


1958年に横浜市のアンモニア工場で爆発があり、死者1人、負傷者23人の犠牲を出しました。


この事故の原因は、まさしく輸送管の腐食でした。


水道管破裂の事故も、新聞に気をつけていると、ずいぶん多いですね。


丸一目も多量の水が無駄になるから、「水不足にもったいない」などという見出しがついています。


近ごろ、東京周辺の各県では、マンションがどんどん増えています。


マンションの地下には、各種の配管が入っているにちがいありませんが、強引な「乱開発」的ムードの中での工事に、表面には現われないさびの問題について、将来とも心配はないのでしょうか。


もうひとつ、SFのタネに格好の例があります。


それは、たとえば発電所にある大型のボイラーの場合です。


ロートアイアンもいいかもしれません。


レストラン業界の戦争 3


このとき茅野社長はアメリカを視察旅行し、外食産業に興味を持って帰国しました。


それ以後、アメリカの外食産業の研究をはじめています。


四兄弟のズバ抜けている点は、決断の速いことです。


45年7月7日には、もうレストランの一号店をオープンさせています。


国立市の甲州街道沿い、当時はまだ周囲は畑ばかりでした。


いままでにないしゃれた建物を作り、駐車場を広く取りました。


1号店の結果は、予想外の成績でした。


そして47年にははやくもセントラルキッチンを作っています。


このときミニスーパーから完全に撤退しています。

レストラン業界の戦争 2


リース方式の成功しかし素人なら誰にでもできるというふうに取られると、これも困ります。


天才的なひらめきを持つ人、つまり常に発想の転換ができる人ならば、素人でも玄人でも同じということでしょう。


「すかいらーく」の創業者である横川四兄弟(茅野姓は養家先の名)は、こういう人たちに違いありません。


四兄弟の今日までの足跡を辿ってみると、1962(昭和37)年に「ことぶき食品」を設立し、ミニスーパーの経営をはじめています。


長男の横川端(現会長)、次男の茅野亮(現社長)、三男の横川尭(現副会長)、四男の横川紀夫(現副会長)が25万円ずつ出資して有限会社をつくりました。


茅野社長が28歳のときです。


昭和40年には店も6店に増え、売上高は3億円になりました。


しかしまもなく大手スーパーが進出すると、客を奪われ経営不振に陥っています。


レストラン業界の戦争


レストラン業界でも、ストマック・ウォーズはますます激しく燃え上がりだしています。


そして素人集団が、その火付け役になろうとしているのです。


素人だからこそ、レストラン経営の常識を破って、ファミリーレストランのセントラルキッチン構想を作り上げたのが「すかいらーく」です。


レストランのキッチンには板前やコックをおかず・・・


パートの女性でも大学を卒業したての若者でも、マニュアル通りにやればプロなみの調理ができるシステムです。


そして店員教育を徹底して客をもてなし、メニューの平均単価はわずかに1000円。


・・・これこそレストラン経営の革命であり、それは、素人だからこそこだわらず、発想の転換を生み出しえたのかもしれません。

悪法?善法?その1

どんなに悪法といわれていても、運用と解釈次第で善法でもあるという法律があるようです。


特約供給所など通さずとも、教科書出版会社との直接取引で足りるわけで、これこそ正に、私法上の契約によって成立するではないか。

取次供給所である書店に能力さえあれば、ということは各学校との折衝力、倉庫・保管能力、配送(学校⇔書店間)能力などを備えていれば、それでいいわけで、その評価は教育委員会に任せればいいのである。

そうすれば地域書店業界は一致結束して共同責任を負い、期待に応えるであろう。

最良の方法である。

おそらく、書店業界は全員で協同組合を作り、倉庫を用意し、共同責任を保証するだろう(いわゆる共同販売制)。

暦の話と占いの話


長老ノアが、洪水が引いたかどうかを調べるために鳩を飛ばしたその日を、ヘブリュウ暦から現在わたしたちの使用している太陽暦に換算してみると、それがちょうど4月1日に相当します。


ノアによって送られた鳩の使いがむだに終ったのを記念するために、人をかついで嘲弄するエープリル・フールの習俗がおこったのだと・・・


これは、ちょっとお古いのですが『ロンドン・パブリック・アドバタイザー』紙の、1769年3月13日号に掲載された記事の切抜きであります。


もう一つ別の説によると、ヨーロッパにおける四月馬鹿日の習俗は、フランスに淵源するといいます。


欧州で改新暦をもっとも早く採用したのはフランスですが・・・


1564年、シャルル9世が1月2日を年の始めとすることを制定して以来、従来の年賀の廻礼や、年玉の交換などの習慣が、すべて新暦による1月1日におこなうように変更されました。


その変更以前までは、4月2日が年始の祝祭日になっていたのです。


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父と息子 8

一人は男と年格好が同じくらい五〇歳前後、登山帽みたいな帽子をかぶっているが、頭は相当薄い。

しっかりした足取りで、左手でがっちりと若い男の手を握っている。

若い男は二〇歳を少し越えたぐらいであろうか。

足元が不安定で、首を左右に揺らせながら、必死に階段をのぼっている。

ひと目でそれは親子だとわかった。

障害を持つ息子に、渋谷の街を見せようと、休日に二人は出て来たのであろう。

父親の左手の腕には太い血管が浮き出て、がっしりした手が、息子の右手をしっかりと握っている。

息子のよろけそうになる足元も、強い父の手が支えているのであろうか、息子もかろうじて真っ直ぐに歩いて行く。

その親子と男は行く方角が同じらしく、男は二人の後に続くようなかたちで歩いた。

父は大きな声で息子に説明する。

「これがデパートだよ。

わかるか。

何でも売ってるデパートだ」。

父が何かの説明をするたびに、息子は首を振り振り頷いている。

九月末でまだ暑い。

親の捲り上げた腕にも手にも汗が流れている。

背中もおそらく流れる汗であろう。

父の手がまるで息子の一本の杖になったように、二人は歩いて行く。

父と子がこのようにしっかりと手を握りあう姿など、男は見たことはない。

男は吸い付けられるように、その父親の背中を見ていた。

若い男は少し障害がある人なのでしょうか?

父と息子 7

「俺のせがれはどうしているのだろう」「まだ、勉強しているだろうか。

階下でテレビを見ているだろうか。

いや、家にちゃんと居るのだろうか」この"糖衣錠の社会"の中で親父のひと言は、うるさく、効果は小さい。

だが「自分はわが子をちゃんと育てたのだろうか。

勉強ばかりでなく、ちゃんと人様に迷惑をかけない、自分の足で社会を歩んでいける男に」。

巣立つまで残り時間は少ない。

「息子よ」、男は祈るような気持で自宅の戸を開ける。

こんな毎日がもう何年も続いている。

久し振りの休日出勤で、男は地下鉄・渋谷駅の階段を上がっている。

もう少しで地上に出るというとき、男の横を手を繋いだ二人連れの男が追い抜いて、一歩一歩階段を上がっていった。

二人ともスニーカーを履いて背に小さなリュックを背負っている。

「渋谷へ来たぞ。

公園通りだ」。

男同士が手をつないでいる風景なぞめったに見ないので、男はついつい謹勲好きそうな目を二人に投げ掛けた。


なんというか、同じ子供でも、息子と娘では父親の目線というのは変わりますね。

基本は押さえて食べすぎず

注意したいのは、栄養のバランスをよくしようとすると、ついあれもこれもとなりがちなこと。

つまり、食べすぎてしまうことです。

毎年の国民健康栄養調査でも中高年の肥満の増加が指摘されているように、今は過剰摂取での弊害が問題になっています。

栄養教育も一昔前は「必要量をいかに確保するか」だったのが、今は、「余分な栄養をいかにとらないようにするか」に変わってきました。

「基本は押さえて食べすぎずに」が大切なのです。

ここで量を少なくたくさんの栄養が摂取できるモリンガのようなサプリメントが重宝するのです。

おまけに最近は情報過多で、とくに健康食品がらみでは広告・表示だけでなくロコミ情報でも「?」と思われるものが多いので、「何をどう食べるか」は栄養面だけでなく、情報とのつき合い方や表示の読みこなし方なども会得しないといけない。